父が残した、黒く塗りつぶされたメモ

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兄の影響で、私は中学生の頃から
さだまさしの歌の世界が好きになりました。

最近、しばらくぶりに「療養所(サナトリウム)」を聴いて、
92歳で亡くなった父を思い出した。

人はよく「大往生で亡くなれたのですね」と言います。
けれど、父は本当に大往生だったのでしょうか。

確かに、父は穏やかに、眠るように旅立っていきました。
ただそれは、はたから見えたことではあって、
父にはどんな想いがあったのでしょう。

「療養所(サナトリウム)」の歌詞の中に、こうあります。

―誰もが年を取ると子供にかえるというけれど、それは嘘だ。
年を取るとともに自由な発想力も想像力も奪われていく。
「昔はこんなんじゃなかった」と思う日が来るー

私は、この歌詞に込められたすべての想いを、
“夢”という言葉に託した、さだまさしの感性と表現力に
圧倒されるのです。

さだまさし=言葉の魔術師

さだまさしー言葉の魔術師だと、私は思っています。

「療養所(サナトリウム)」を作ったとき、彼はまだ20代前半でした。
幼少期から病弱で、人生を何度も諦めざるを得ない経験をしたと振り返ります。

その背景を知ると、あの歌詞の深さは偶然ではないと思うのです。
幼い頃から良質な文学に触れ、蓄積し、熟成し、それを音楽と言葉へと昇華させたー
そんなアーティストだったのでしょう。

さださんは、こう言います。

「日本には美しい言葉がたくさんあります。
その美しい言葉をもっと使っていきましょう。」

彼の歌には、万葉集の時代から受け継がれてきた言葉、
そして古代の記憶に触れられるような言葉が多く紡がれています。

だからこそ、私たちは彼の歌を通して、日本語の豊かさを思い出すのです。

父の最期のメモ

晩年の父は入退院を繰り返し、最期は病室で穏やかに息を引き取りました。

最晩年の父は視力を失い、耳も聞こえづらかったようです。
あんなに好きだったTV鑑賞でさえも下を向き、静かに、穏やかにただただ座り、
疲れたら眠り、母が作れる料理を小さな子供のように夢中で食べて・・・
そんな暮らしだったようです。

ある時、父は母に何かを書くような仕草を必死で訴えるので、
慌てて母は父に鉛筆とメモ帳を父に渡すと鉛筆を握りしめました。

やがて父は、一心不乱にメモ帳を黒く塗りつぶし続け、ふっと手を止めて、
しばらく空を見つめていたといいます。

その父のメモを母に見せてもらい、私は言葉を失いました。

父の書いた跡は、何かを伝えたくて書いているのに文字にならなくて、
仕方がなく塗りつぶされたというものでした。

私の父は負の感情をエネルギーに使う人ではありませんでした。

そこには、「書きたい」「伝えたい」「できるはずだ」
そう信じる力と、その思いが身体に届かないという現実との、
ただまっすぐな衝突でした。

父は大正一桁生まれで理系大学を卒業後、大手のカメラ会社へ入社し、
胃カメラのレンズ設計に携わっていました。

定年後は、好きだった物理学や宇宙科学などの分析や研究を
PCで処理させることや科学関係の読書に没頭していました。

だから、わかるのです。
父が思い通りにならない、ままならないわが身をどうにもならない、
そのやり場ないの想いがそのメモだったのです。

前の記事でも記しましたが、
“老いる”とは、
「身体が動かなくなる中で生きる意味を探す」ことだと感じています。

だから、元気なうちに「身体が動かなくなる中で生きる意味を探す」準備を
今からしておけば、恐れることも、怖がることも、焦ることもなく、
老いた自分と向き合えると信じています。

これからの人生を有意義に過ごそうと、いろいろなことを目標立てたりしていくと思います。

そこで、私たちが気を付けなければならないことがあります。
出来なかった自分を責めるのではなく、それに気づけた自分を褒めることです。

その一歩は、小さくてもいい。
自分に気づける生き方を、私も続けていきたいと思っています。

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